2018年5月27日日曜日

間を楽しむ

祖父の代から付き合いのある料理屋さんの主人は魚釣りが大好きで奈良県までわざわざヘラブナ釣りに行きます。
そこのヘラブナはとても引きが強く数も少ないのでなかなか釣れないのですが、楽しくて仕方がないそうです。
釣れるのは誰でも楽しいのですが、本当に釣りを楽しめる人は糸を垂らして魚がかかるまでの間も楽しんでいます。

現在はなんでも効率的に忙しなく活動するのが当たり前のようになっていますが、効率的な活動から得られる幸福は案外と少ない気がします。
意外にも、何もない間を楽しめるような環境にある人の方が幸せかもしれません。
ただ、そんな幸せに気が付くにはかなり年月が必要でしょうし、他人に教えられても容易に理解できるような代物でもありません。
気が付かずに一生を終えてしまう人も多そうです。

2018年5月26日土曜日

田植え

田植えは疲れる。
普段と違う仕事ですからね。
一般的な企業化したオペレーターが使っているような大型の田植え機ではなく、今や玩具のような小型のものなので時間がかかる割には大して仕事は捗らないのです。
しかも数時間で終わる程度の家庭菜園のごとき自家用米を作るだけなので大型を買う気は全く起きないのです。

2018年5月21日月曜日

集団的知性とオンラインゲーム

オンラインRPGは一種の集団的知性のような気がします。
多くにオンラインRPGではPLは効率を求めてwikiなどに情報を集積し、そこから導き出された最適行動を各PLが行う、といった行動を続けています。
 したがってwikiなどによる情報集積が進んだ高難易度のオンラインRPGの場合、ゲームをしているのは集団的知性であるwikiそのものであり、PLはそのwikiの手足となって働く駒に過ぎないともいえます。
最適解を選ばないイレギュラーを排除し、wikiに貢献する情報を提供する者を英雄視する雰囲気になるのもそれ故です。

…なんというかこの状況はパラノイアというTRPGの世界観にも似ている気がします。

2018年5月15日火曜日

クローンと寿命

クローンによって作り出された牛が亡くなったそうですが、19歳と一般的な牛の寿命と同じだったそうです。
ただ、オリジナルの牛が何歳まで生きたのかも判らないですし、何頭もの牛を同時に育てて統計を取ったわけでもないさそうなのであくまで一つの結果でしかないような感じです。

少なくとも植物の世界はクローン技術は当たり前で、株分けや挿し木といった栄養繁殖はクローンそのものです。植物の場合、クローンによって繁殖されたものはほぼ同じ時期に寿命が来ます。ただし、肥培管理すると寿命が短くなりますし、逆に栄養が少なすぎても寿命が短くなります。また、温暖な気候であると成長が早い代わりに寿命も短くなる傾向にあります。
本来の寿命が数年の宿根草では環境要因の影響をまともに受けます。
寿命が長い植物の場合は環境要因よりその個体が持つ寿命の影響の方が圧倒的に大きいと言えます。体感的に一年草や元々数年の短命な宿根草を除けば短命な個体と長命な個体では2~3倍の寿命の差が同じ植物でもあるようです。
寿命の長い個体は同じ植物でも基本的に大人になるのに時間がかかるため、花や実が付きにくい傾向にあります。一般に人間にとって都合の良い個体は花や実が付きやすいため、育種の段階で短命な個体が選ばれていると言えます。
つまり育種とは種として優れた品種ではなく、選抜した人間にとって都合のよい品種を選んでいるのです。

2018年5月8日火曜日

ルール至上主義とどう向き合うか

世の中にはルールこそ絶対だと考えている人がいますが、この考え方は正直改めて欲しいと思います。ルールは秩序を守る規則として必要ではありますが、最優先すると幸せになれない可能性が高いのです。

 例えば、TRPGはゲームというより社会の縮図のようなものと言えます。TRPGにはルールがあり、GMもPLもルールに則ってゲームをします。ところが、ほとんどのルールには困ったときはGM権限をルールより優先しろといった記述があり、GMはPLを楽しませるためには時にルールを無視した、あるいはルールを変更する権利を持っています。とは言え、GM権限を乱用すればプレイヤーはゲームとして楽しめないためそのような卓には参加しなくなりゲームが成立しなくなります。つまりPLにはGMを選ぶ権利があるのです。
 GM・ルール・PLはそれぞれ三すくみの関係であり、バランスが取れた状態こそ皆が楽しめる環境であると言えるのです。
 実社会における政治家・法律・有権者の関係もまた同じと言えます。

 実際、ルール至上主義者は本当にルールこそ絶対であると思っていない可能性があります。本当に自分の命が危ない時に自分の命よりルールを優先することがあるでしょうか。
 ルール至上主義と口では言いながら、あくまで自分が有利に働くように自分の都合のいい時だけルールを盾にして我がままを言っているだけに過ぎないことも多々あるのです。

 身勝手なルール至上主義者にどう向き合うかですが、情を捨て心を鬼にしてルールに基づいて淡々と対処するしかないと思います。

2018年5月6日日曜日

PS4 文字が小さい その2

昨日はいつもの如く大学時代のメンバーと集まってグダグダと世間話。
多少はゲームもしましたが。

 そこでPS4の文字が小さいという話をしたら、後輩が笑ってました。
 しかし、その後輩も眼鏡をかけていて自分より明らかに視力が悪いですし、視力の良し悪しと文字を小さく感じるかどうかは違うようです。
 やはり仕事などでパソコンの前に座っている時間が長い人ほど文字が小さい方が快適に感じるようです。当然ながら文字が小さければ眼や顔を動かさなくても文章を読めますし、一度にたくさんの情報量を処理できるからです。
 ゲームを作っている人達が自分たちの常識で文字サイズを決めてしまうと世間の常識から外れている可能性があります。(最近はスマホで小さい字に慣れてた人もいるでしょうが、据え置きゲームはテレビですし、文字の比較対象はテレビの字幕だと思います)
 自分も文字の小さいゲームをしばらく遊んでいたらそれなりに慣れましたが、文字の小ささは時に商品選択でハンディとなる可能性もあります。
 ゲームをする世代を子供だけでなく中高年まで広げるつもりなら文字サイズの問題は早急に解決した方が良さそうです。


 もう1つ文字が小さい原因は翻訳ものなどですとアルファベットの文字サイズのまま漢字を使っているので読めない可能性があります。アルファベットに比べれば漢字は少ない文字量で情報を伝えられる代わりにある程度の大きさが無いと文字がつぶれて読めないという問題があります。

2018年5月3日木曜日

リアリティ・ゲーム性・遊び易さの関係

主にRPGの場合だと電源の有無に限らず、リアリティ・ゲーム性・遊び易さの3つは三角関係にあります。
この3つの要素を頂点とした三角形の面積が広いほど出来の良いゲームではあるのですが、どれかの要素を伸ばそうとすると他が縮む性質があります。
リアリティを重視するとゲームへの没入感は広がるのですが、システムが複雑になったりして遊びやすさが低下します。
遊び易くしようとガイドを設けると今度はガイドに従うだけになってしまいゲーム性が失われてしまいます。
ゲーム性を高めて遊びやすくするには抽象的な表現が必要になってリアリティは失われます。

RPGに対してどの要素を重視するかは人それぞれであり、この三角形の形が各個人がもつ理想形に相似であるほどそのゲームが面白いと感じると考えられます。あくまで自分の価値観が基準なので他人の意見は思ったほど当てになりません。

ちなみにすべての要素が低いゲームは満場一致のクソゲーと言えます。