2022年7月30日土曜日

Rule of coolの概念について

 新しいD&Dの映画でドルイドがオウルベアに変身するシーンがファンに指摘された点に対して、 「Rule of cool」に基づけば問題なく楽しめるというような記事がありました。

 TRPGにおける「Rule of cool」は要するに「映画のようなカッコいい場面の為なら、GMは多少本来のルールと違う処理をしても良いじゃないか」という事を表現するルールです。以前から自分も思っていたのですが、ゲーム的な緻密な処理による面白さと、映画のようなダイナミックな表現による面白さはなかなか一致する事がなく、これがゲーム原作の映画や映画原作のゲームが大ヒットし辛い原因であり、「Rule of cool」はそれを突き破る一つの手法ではないかと思います。ルールを超越する事ができるのはTRPGだからこそ可能な遊び方です。

 映画やアニメの世界自体でも「Rule of cool」の約束事があり、「リアリティが無くてもカッコいいシーンならOKじゃないか」という考え方があるみたいです。もしかしたら日本に限らずリアリティやルールといったものによって作品にマウントを取る一般ユーザーが増えてエンターテイメント全体がやり辛くなってきてしまったため、(それまで当たり前のようにしてきたことに対して)この表現をしなくてはならなくなったと思う所です。


 なろう系を初めてとする異世界転生ものはむしろこの流れとは逆で、メタ表現する事によってリアリティ性やゲーム的な面白さをアニメ(や小説)で表現しようというものかと思います。この流れは「Rule of cool」が行き過ぎてご都合主義が酷くなったことに対するアンチテーゼだとは思いますが、これもまた行き過ぎてしまうことが「Rule of cool」が見直される原因だと思います。(例えばD&Dも3.x版はあらゆる事象をルール・データ化する、4版がゲーム的な公平性を重視するのに対し、5版は曖昧さやオプションルールを増やし細かい部分はDMに任せるといった傾向が強くなっています。)


 「Rule of cool」の概念はTRPGのプレイスタイルの一つの手法でしかなく、ゲーム的な楽しさを重視する方法も間違っているわけではありません。結局は自分のスタイルに合ったシステムを選び、価値観のあったメンバーと遊ぶしかないと思います。

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