2017年6月30日金曜日

ヒアリ

名古屋港でも見つかったみたいです。
中国にも定着しているみたいですし、一度定着して3年もすると駆除は不可能らしいので定着しないよう水際で抑えるしかないでしょう。
自分も蟻酸には弱い方ですし、普段から素手で土を触る仕事をしている職業柄、恐ろしい存在です。

2017年6月29日木曜日

RPGとネットゲーム依存症

RPG愛好家はなぜRPGが好きなのでしょうか。
RPGは努力した結果が数値など目に見えた形で出易いことにあります。さらに、多くのRPGではゲーム内に時間制限というリソースがほぼ無く、時間をつぎ込み、努力さえすればかならず結果が出るように作られています。
しかも、RPGが好きな人は運に左右されることを嫌うような傾向があります。自分の知り合いでもRPGが好きなメンバーは運の要素が強いカードゲームやボードゲームを好みません。運による振れ幅が戦術でカバーできないと、運ゲーだといってどうもバカにしてしまうのです。
自分もRPGが好きな人間ですので他人のことは言えません。

オンラインRPGやソーシャルゲームは単純に時間や金をつぎ込んだ方が強くなるように作られています。さらには、以前に比べて運が絡む要素は苦情が多いためかより小さくなり、なおさら時間をつぎ込んだ方が見返りが大きくなるような設計になりつつあります。
努力によって見返りが得られるという、RPGが好きな人がよりハマりやすいようなゲームデザインによりなって来ていると言えます。

実際、自分もしばらく遊んでいたネトゲの掲示板などを見ても、アイテムドロップのランダム要素やダメージのバラツキ、低確率の事故などに対する不満が非常に多く目に付きます。確率というシステムを利用すれば、当然ながらそういった「運の悪い事象」は起こり得るのですが、それを単純に運が悪かったと割り切れない人が多いのでしょう。
また、攻略法などもいかにリスクを小さくして確実に効率良くクエストを成功させるかについて書かれています。最適解以外はありません。もちろん、ゲーム攻略法としては間違ってはいません。ただ、特にはまり込んでいる人ほど最適解以外は悪といった雰囲気が漂っている感じがします。

ギャンブル依存症になりやすい人は必要ない時でもリスクの大きい方を選ぶという研究報告がありますが、ネットゲーム依存症(特にオンラインRPG依存症)になりやすい人は全く逆に変に合理的で極端にリスクを嫌うのではないかと思います。もし、学術的に調べている方がいたら調査してみてはいかがでしょう。

2017年6月26日月曜日

PS4 文字が小さい

PS4のとあるゲームを遊んで思ったのが、文字が小さすぎ(ちなみに視力は裸眼で1.5あるので読めないわけではありません)
と、思って上の言葉で検索すると確かにそう感じる人とそう感じない人がいるようです
テレビの適正距離は高さの3倍だと言われていますが、実際にその距離で見ると眩しくて見つづけられません。最初からパソコンのディスプレイと違ってもっと離れてみるように設定されているようです。(もちろゲームモードのように輝度を抑えた設定にしたとしても、です。我が家の別の場所にある他メーカーのテレビはもっと細かく明るさを設定できるので、そういったテレビで限界まで明るさを抑えれば大丈夫なのかも…)
ちなみにこんなページがありました。

http://www.jmca.jp/column/kou/kou29.html

たしかに地上波のテレビ放送ではその距離で丁度見やすいです。文字サイズも距離にあったサイズです。
1人遊びのゲームの場合、テレビの前に1人で占拠して遊ぶことを想定してゲームを作っているためなのか、かなり近い位置にいるように設定しているようですが、実際に遊んでいる人が皆ディスプレイ感覚でテレビの目の前に陣取っているわけでもないので、文字のサイズを2サイズ用意するといった対処はしてほしい所です。
文字が大きいとデザイン的に恰好よく見えないのかもしれませんが、苦痛を感じでしまっては話にもなりません。

追記:仕事柄ディスプレイの前に張り付いている兄は酷い近眼にもかかわらずパソコンでかなり小さい文字サイズで作業をしています。可視範囲が広い方が作業しやすいからだと思いますが、慣れの問題で普段からパソコンの画面に張り付いている人とそうでない人では「普通の文字サイズ」の感覚にかなり差があるのではないでしょうか。

2017年6月24日土曜日

進化と効率

http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/anmonite.html

アンモナイトの後期の殻のヘンテコな巻き方はバランスを取りつつ殻を伸ばす効率を求めた結果のらしいですね。ただ、個人的に思うに、ある特定の効率を求めた結果、根本的な何か重要な事を犠牲にしてしまい、結果的に絶滅してしまったのではないかなと。
実際、以前も話しましたが、植物でいえばラン科が同じような高度な進化をした結果、絶滅の危機に陥っている種が沢山あります。ラン科は大量の種子を生らせることが出来る代わりに種子に胚乳がありませんから、発芽に菌類の力を借りなければいけません。それどころか大人になっても菌類の力を借りなければ生きていけないランも結構あります。他者の力を借りることは生きていくのに効率はいいのですが、自立できないため環境の変化にとてつもなく弱くなってしまいます。

正直、これほどまで効率を求めるようになった人間もアンモナイトやラン科植物のような極端な進化をし過ぎた生物のような感じがしますが、生物として今の人間の活動が誤った道なのかどうかは人間が滅んでみないと判らないところです。

2017年6月21日水曜日

恵みの雨

ようやく雨が降りましたね。
降るとなると今度は土砂降り、畑には恵みの雨ですが。
この時期の雨か曇りの日しかできない仕事もあるのでたすかります。

2017年6月20日火曜日

おかしな皮算用

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170620-00010000-agrinews-pol

韓国びいきするつもりはないですが、韓国の法律で当時品種登録できなかった品種を元に育種されても仕方がないでしょう。
そもそも日本で食べられているイチゴは日本の植物ではないのですし、日本だってもとは海外から導入された品種から育種しているのですから。
もし、日本の品種が直接利用されなくても似た品種が出てくるのは時間の問題です。

それに、それが原因で韓国品種に押されて日本が輸出しそこなっているというのも話が飛び過ぎています。輸出となると単に品種の良し悪しだけで出荷できるかどうかが決まる話でもないです。
品種云々はそのファクターの一つでしかありません。

2017年6月18日日曜日

技術職の問題

アニメーターや自動車整備士といった技術職の賃金が安すぎて離職率が高いという話はしばしば聞きますが、一般的な仕事に比べ技術職は一人前になるまでに必要な時間がかかり、修行中の間はまともな給料はもらえないのが一般的です。

昔はそういった職人仕事の場合、親方が弟子を養うかわりに独立後も親方を支えるなどお互いに協力関係を保っていたためにうまく回っていたのですが、現在は独立できるようになると他所へ行ってしまうので、親方の方も弟子に十分な投資できず、養うことも出来ないという事もあると思います。

現在の社会にこういった昔ながらの技術職の育成法は不適当なのかもしれませんが、技術職自体は必要です。AIが人の仕事を奪うような状況になってきたこのご時世、この技術職が一番求められる仕事のような気がします。もちろんAIで幾らかの技術職の仕事をカバーできるでしょうが、唯一無二のモノづくりをする仕事はAI任せで作るのは採算が合わないでしょうから、人が作らないといけないのではないかと思うのです。

2017年6月17日土曜日

盆栽とBONSAI

盆栽とBONSAIは別物です。
ですが、盆栽家がBONSAIの指導をしていることは良くあります。
どちらも、自然の情景を小さな鉢の中に収めるという本質は変わりませんが、盆栽は長年培ってきた伝統や格式があり、形がほぼ決まっています。それこそが外国の方々が望むものではあるのですが、あまりに畏まりすぎ、また技術も極まりすぎて、価格もとんでもなく高価なものになってしまっているために新しい人たちが入りにくい世界になってしまっているのが現実です。
BONSAIはもっとラフなもので、材料もそれほど高くなく、新たにこの世界に入りやすいものになっています。
しかし、関東圏はともかく、こちら名古屋近辺ではそういったものを扱う講座などもあまり開催されていないようです。
そういった材料を入手するところもないと言われたりもするのですが、我が家ではそういったBONSAI素材も生産しています。(もちろん盆栽用の材料の材料も作っています…)
株式会社でもないですので屋号もありませんし、幹線道路沿いにあるわけでもないので知る人ぞ知る状態です。あまり宣伝しても対応しきれないのではありますが。

ネット社会のこのご時世、ネットに頼りきりで自分の足で探す人がいなくなったので、自力で買い先を開拓する人もいなくなってしまったみたいです。

2017年6月16日金曜日

植物の商品名

昔からですが、既存に流通している植物に勝手に名前を付けて売られているので注文が来てもどんなものかを判別するのに少々困ります。
こういう時はネットが活躍。
植物には学名の他、標準和名、品種名、地方名、商品名など同じものでも色々な呼び方があるので、正しいかどうかではなくその名前が使われているかどうかで調べるには便利です。

商品は良い名前をつけた方が売れるのは間違いないのではありますが…

2017年6月15日木曜日

エンドコンテンツ その3

エンドコンテンツ症候群

1.ある趣味において極限状態に達したが、より高みを望んだりより強い刺激を求めるもののどうやっても満足することが出来ない状態

2.趣味を提供する側が1のようなユーザーの要望に対して何とか答えようとするも、限界に達しているため行き詰ってしまう状態

この二つをまとめて「エンドコンテンツ症候群」と呼んでみることにしてみよう

そもそも「仕事」ではなく「趣味」としている限りは楽しくなければやる価値はない。しかも、同じ趣味に没頭していればこの文明の利器の発達した今日では瞬く間に極限状態に達してしまう。極限状態に達するまでの間はとにかく何をやっても楽しくて仕方がないが、極限状態に達してもその過程で得られたような快感が忘れられず、さらに多くの快感が得たいと感じるものである。
しかし、その趣味を作り出す立場の人間がどれほど努力しようが、極限状態の人を満足させることはできない。時間的・経済的・技術的などの要因によって不可能な域に達してしまう。(もちろん、この極限状態だからこそ、新たな道が開かれることがあるのも確か)

趣味を提供する側の対処法としては、新規顧客の開拓である。年齢層を広げる、今まで興味のなかった人たちを取り込む、海外進出するといった方法で新たな客を開拓する。
しかし、その域に達してしまったユーザー側はどうすればいいか、現実のところ悟るかその趣味を諦めるしかない。悟るとはつまり「足るを知る」ことである。なにか説教臭くなってしまうが現実それしか満足を得る方法がない。

具体的な例として、RPGについて考えてみよう。
RPGの導入は、依頼・巻き込まれ・自発的、基本的にこの3つしかない。例えばコンシューマーゲームでのJRPG的展開ならメインストーリーは巻き込まれ、サブシナリオは依頼、クリア後のおまけダンジョンは自発的、といったパターンにほぼ固まっている。
ゲーム中盤で自発的に行くしかないダンジョンを用意しても「イベントがない無駄なダンジョン」と言われるだろうし、メインシナリオなら「目的地が不明で不親切」と言われかねない。巻き込まれ型のサブイベントはそもそもサブイベントとは言えないか、「ただのメンドクサイ蛇足シナリオ」くらいにしか思われない。
面白いと思える定型から外れたシナリオ構成にしてもユーザーが楽しんでくれないからパターン化されてしまうのであって、JRPGを遊び尽くしたユーザーが「ありきたりのパターンか」と思っても仕方ない。JRPGのシナリオ構造や展開そのものは20年前にはほぼ確立されているし、そこから映像や音声ぐらいしか進展しようがないから新鮮味がないのである。

なお、オンラインRPGは今のところ試行錯誤の段階ではあるが、かなり理想的なところに近づいてきているとは思う。もし、理想的なバランスに到達してしまったら今よりも規模は小さくなってしまうだろうし、場合によっては運営できなくなって存在できなくなるかもしれない。もちろん、その時には新たなジャンルのオンラインゲームが誕生しているだろう。
もしくは、理想的なバランスを理解した上で、意図的にバランスを崩してユーザーの不満を適当に受け流しつつ生き永らえるかだ。

2017年6月14日水曜日

空梅雨

梅雨入りしたはずなの一向に雨が降らないです。
週に1度は雨降ってほしい所。
それ以上は仕事がはかどらなくなるので要らないのですが…

2017年6月12日月曜日

エンドコンテンツ その2

商品を提供する側としてエンドコンテンツとどう向き合っていくかは正直難しい問題です。

ゲームではなく園芸業界の話ですが、その中でも東洋ラン(主に日本のラン)や山野草(野に生える自然の花)業界は自分にとってもなじみの深く30年以上も付き合っている世界なのでその点については語ることもできます。
家が植物の生産者で小学生の頃から植物に興味がありました。
ちょうど自分が小学生の頃に東洋ランブームというものがやってきました。盆栽のブームが去り、多くの園芸家がこぞってランを買い集めたものです。自分も小学生の頃に父親に1本5万円ほどするランを買ってもらったことがあります(今なら数百円ほどの価値です)。当時は毎年のように新しい品種が発見され、どんどんと値段が上がるいわばバブル状態でした。それがある年を境に急速に暴落し、ブームは去ってしまいました。ブームの頃は野生で稀に見つかる変異個体を集めていたのですが、人工交配によって人為的に品種がつくれるようになった途端、商品に価値がなくなってしまったのです。新しいものを求めていたのは消費者自身であったにもかかわらず、それが安定的に量産されるようになると途端に消費者は興味を無くしてしまったのです。

消費者の要望に対応し続けた結果、その業界自体を潰してしまったのがこの業界の現実です。技術が進めば消費者の要求を答えられるようになり、業界がより発展するはずだったのに現実は真逆でした。東洋ランブームの後、今度は山野草でも同じようなブームと衰退を繰り返しています。

「消費者の要望」とは言いますが、趣味の世界ではヘビーユーザー(マニア)の要望の事です。ライトユーザーは人数は多くても大して要望を出しません。そして、ヘビーユーサーの要望は声が大きいため業界に大きく影響します。ヘビーユーザーの要望に応えれば短期的には利益を出すことができますが、要望に応えれば応えるほど、新規ユーザーはが入りにくい閉鎖的な環境が生まれてしまいます。そして、ヘビーユーザーもいずれはその世界から去っていきます。もうそうなったら手遅れです。

結果的に我々が生き残る手段のして取った方法は、ヘビーユーザーの切り捨てでした。正直これが正しい選択だったのかどうかは判りませんが、ヘビーユーザー向けの商品ばかりを扱っていたところが次々と倒産・廃業していったこと考えれば仕方がない事です。趣味を対象にした商売で、一番失敗しやすいのが作り手がヘビーユーザー目線になってしまう事だと思っています。
商売を長続きさせるには「人を代えるか、物を代えるか」と言われます。前者は初心者を、後者はヘビーユーザーを対象にした経営戦略なのですが、その両方のバランス感覚を持ち続けなければ長続きさせるのは困難です。

2017年6月11日日曜日

エンドコンテンツ

どんな趣味でもエンドコンテンツなるものがあります。
趣味の世界で消費のピラミッドの頂点にいるヘビーユーザーが対象の商品なのですが、いかんせんここ相手の商売はなかなかうまくいかないのが現実です。
声が大きく業界への影響力もあるし購買力もそれなりにありますが、全消費者数に対し絶対量が少なすぎますし、何より一般消費者対象に比べ維持に必要なコストが非常に高いのです。
中小企業や個人経営のニッチな商売としては成り立つでしょうが、大企業がする商売とは正直言えません。

オンラインゲームなどを長期運営するとかならずヘビーユーザーが生まれて、エンドコンテンツを求めるようになりますが、一般的な趣味の商売と同じ考えならエンドコンテンツに全力投球するべきではないと思います。むしろ継続するためには新規獲得に常にコストをかけ続けなければいけません。
もし、すでにユーザーの多くがエンドコンテンツに到達したっている状態なら、対象ゲーム機の拡大などで最後に新規ユーザーが大幅に増えてからおよそ3年で急速にユーザー人口が減少して終息を迎える可能性があります。少なくとも運営サイドがコンテンツを提供しなければ何もイベントが起きない状況なら終息する可能性はより高いです。大して運営サイドがコンテンツを提供しなくても、勝手にユーザー同士で盛り上がる状況なら長生きすると思います。単純にゲームの出来の良し悪しだけでは決まりません。

2017年6月10日土曜日

ツバメの巣立ち

今年も我が家の電線に巣立ったばかりの若ツバメが列をなしてとまっています。
我が家では蛇が多いためかツバメは巣を作らないようですが、エサとなる虫も多いので巣立ちの頃になるとまだ餌を自力で取れないツバメが並んでとまるのです。
ほぼ毎年見る光景です。

そういえば今年はホトトギスも近くに来ていました。

2017年6月8日木曜日

紫陽花

そろそろ公園や庭のアジサイも花を咲かせるようになってきました。
このアジサイ、なかなか曲者で栽培は容易なようで難しいところがあります。
一般に売られているアジサイはガクアジサイと呼ばれる伊豆半島から大島のあたりの海岸に自生する植物を先祖としています。最近ではそこにヤマアジサイの系統を導入していますが、細かいところは省略。
ともかく、昔から公園などで普通に見られたアジサイですが、ここ最近にアジサイの鉢花を買うと、まともに花を見る前にしおれて枯れてしまう場合がしばしばあります。

原因は?

アジサイはストレスを与えず、半陰で肥料を十分与えるといくらでも成長して大きくなります。
その代わり、風・乾燥・直射日光などのストレスに極めて弱い軟弱者になってしまいます。
元々葉が大きくて薄く、花びらも薄い品種は特に危険です。
近年アジサイの栽培技術と品種改良が急激に進んだのはいいのですが、生産者があまりにも上手に作りすぎて、消費者の手元では栽培できないくらいの温室育ちな軟弱な商品が結構出回っています。(でも、そういった商品の方が見栄えは良いのです。)

なお、花(両性花)の外側がピンク色の覆輪になる系統はヤマアジサイの清澄沢という品種を先祖にもち、葉がやや薄くて乾燥に弱いですし、花の外側が白く覆輪になる系統は木の大きさに比べて根が短くて弱いので、萎れやすい傾向にあります。覆輪の品種は結構人気あるのですが栽培には注意が必要です。

もちろん品種によっては簡単に育って大きくなりすぎるものもあります。
最近は品種が多すぎてどの品種が良いのか判りません。
アジサイに限った話ではありませんが、選択肢があることがあることは良いのですが、種類が多すぎるのは良い事でもないのです。

2017年6月7日水曜日

ゆらぎのバランス

「何度も遊べる面白いゲームは多少バランスが崩れている」
これが現実である。
どんなゲームでも理想的なバランスはおそらく今の時代容易に算出できるだろうが、本当にバランスが取れた状態が長く続くと人は楽しいと思えなくなってしまう。
クソゲーと言われない範囲内で多少安定していない方が不満もあるが大きな満足感が得られるし、何度でも遊ぼうと思える。

TRPGの場合、1つのシナリオ内で雑魚多数であったり、大物単体のボスであったり、不利な状況で苦戦したり、圧倒的力でねじ伏せたりといろいろあるから、誰かが活躍し誰かが活躍できなかったりとなって結果的にみんながそれなりに満足が得られる。すべての戦闘で皆を完璧に満足させることは多分不可能だとは思う。

プロの料理は安定していて美味しいがすぐ飽きる。家庭料理は毎日微妙に味が安定していないが飽きにくい、これと同じだろう。

2017年6月6日火曜日

防御・回復役がなぜ人気がないのか その2

6月5日付の中日新聞朝刊17ページの記事
収入ない「家事・育児・介護」も労働です!の内容より、

一言に「労働」と言っても、「収入が伴う『稼得労働』と、収入が伴わない『非稼得労働』がある」

これはRPGにおける攻撃役の「火力貢献」と防御・回復役の「非火力貢献」の関係と同じといえる。
そして目に見えて効果のある「火力貢献」の方が本当は同程度の貢献をしていても評価され、満足感が得られる傾向も同じである。(おそらく、心理的に-1→0より0→+1の方が効果が大きく感じるのだろう)

また、高度経済成長期のようにインフレによって所得が増え続ける状況の場合、完全分業して夫が外で働き、妻が家事・子育てに専念した方が効率が良くなった。なお、現在はインフレもせず、必死に働いても所得も増えないのでこういった分業は効率が悪くなることがある。
RPGでいえばボスのHPをインフレさせるほど分業した方がよくなり、「火力貢献」は「非火力貢献」より効果的になるのである。

現実世界はともかく、TRPGの場合は目的を達成することよりも優先すべきはPLが皆満足することであるから、「非火力貢献」を相当優遇しなければならない。かといって前書いたように「非火力貢献」の効果を上げすぎると「選びたくないのに強いから誰かがやらされる」というより不遇な立場になりかねない。対処法としてはやはり共稼ぎの状態を作る事ではないだろうか。
実世界だと夫が『稼得労働』100に対して妻に『稼得労働』80+『非稼得労働』100の両方行えというのは無理な話だが、ゲームの場合は数値を調整するだけなので攻撃役の「火力貢献」100に対し、防御・回復役に「火力貢献」80+「非火力貢献」100というのは無理な事でもない。

また、ボスのHPをそこそこで抑えつつ雑魚をそれなりの数用意することで、「火力貢献」の優位性を抑えることができる(敵が複数いるなどHPが分割されている場合、超過ダメージによるダメージロスが発生する)。
ただし、敵の数を多数出し過ぎればプレイアビリティが低下するし、呪文などの範囲攻撃手段の優位性が高まるなど別のバランス調整も必要となるので、どの程度出せば良いかは単純ではない。
少なくともHPが一括で超強力なボス1体というのは皆を満足させる点では多くのシステムでバランスが良くないと思われる。確かに強力な敵を倒すという事は達成感は高いのだが…

なお、これはTRPGやオンラインRPGのように1人1役の場合で、PL全員がどうすれば満足できるかを考える場合であり、1人プレイのCRPGならばキャラクターはただの駒に過ぎないから完全分業でも満足することができる(これはこれでブラック企業と同じような…)。

2017年6月5日月曜日

RPGとマネジメント

RPGはマネジメントそのもので、特に戦闘が比較的多いファンタジーは顕著である。
日本人だからなのか(他の国の人でもそうなのかは判らないが)、カイゼン能力は優秀で効率と最適解を求める能力は素晴らしいし、リスクマネジメント能力は十分で危機に陥ることは少ないのだが、どうもクライシスマネジメントは苦手な気がする。RPGなら不利な状況下での戦闘や、致命的なミスや不慮の事故を起こした時の立て直しといったところ。
なによりシステムによってはクライシスマネジメントのための能力が用意されていなかったりするから、それでは鍛えられるはずもない。
不利な状況下での戦闘はPLにとってストレスでしかなく、楽しくないと思う人も多いだろうし、嫌がらせだとしか感じない人もいるかもしれないが、自分はキャラクターの能力を引き出すための手段だと思っているので、1シナリオに1回(単発なら最初とボス戦以外で)はこういった戦闘を用意するようにしている。闇雲に強い敵を出すだけで不利な状況下での戦闘を設定しないと、最強コンボのための部品に成り下がってしまう。(それはそれで楽しいのだが、極端に偏った能力だけが活躍してしまう。特にクライシスマネジメントを考慮したシステムの場合、一部の能力は完全に死に技にしてしていることになる)

実際、「事故が起きたらどうするのか」の問いに、「事故を起こらないようにすればよい」は答えになっていない。事故を未然に防ぐ事は当然であり、それでも起こった時どう対処するかを考えておく必要がある思う。事故を100%防ぐことなどできない。

2017年6月3日土曜日

サガスカ

サガ スカーレットグレイスいま7周目(5か月も前のゲームで今更ですが)
77人全員仲間にしましたし、さすがにマンネリ化しているのでのんびりとプレイ中。
vita自体このゲームのために買ったものですし、なにより新作ゲームを買うのがPS2のロマンシングサガ ミンストレルソング以来11年ぶり。
河津さんがTRPG経験者というからか性が合うのでサガ系はみんな遊んでいます。
やりこみというほどではないですが
アンリミテッド:サガ→全員クリア+追加で何周か
ミンストレルソング→全員クリア+ディスティニストーン10個の真サルーイン撃破
くらいは遊んでます。
真サルーインは結構鍛えたメンバーでもしんどかった記憶があります。

そういえばPS2もアンリミテッド:サガを遊ぶために買ったものでした。サガ新作が出ないから据え置きゲーム機がそこで止まっています。暇つぶしで中古ゲームで遊んでいましたがさすがにガタが来て最近は埃被ってます。

2017年6月2日金曜日

リソース管理とゲームバランス

RPGではリソース管理が非常に重要になる。
例えばファンタジーRPGでHPとMPの概念があるなら戦士のリソースはHPであり、魔術師のリソースはMPである。もちろん最近のゲームでは戦士も必殺技を使うこともあり、この場合戦士でもMPもリソースとしている。
HPとMP、この2つのリソースは本質的に性質が異なる。
HPはそれ自体を自発的に消費するわけではないし、大抵回復呪文があるためリソースの回復も容易であることが多い。HPは受動的リソースである。
一方MPは休息しなければ回復困難かもしれないが、自発的に消費することができる。MPは能動的リソースである。

ハック&スラッシュタイプで、永遠とダンジョンに潜って何度も戦う、そして帰り道も敵に遭遇する危険性があるようなくクラシックスタイルのシナリオであればこの2つのリソースの価値はほぼ同等である(同価値になるよう設定してあるはず)。能動的リソースとはいえ、いつ必要となるかわからないなら常に全力では消費できない。
しかし、こういったスタイルはいまひとつ日本人には合わないらしく、ストーリー展開を重視したシナリオになる場合が多い。そうすると受動的/能動的リソースのバランスは大きく崩れてしまう。日本人好みのドラマチックなシナリオの場合、ボスを倒してしまえばシナリオは終わってしまうし、途中で問答無用にリソースを削られるような戦闘は(娯楽として無駄な時間に感じられ)省略されやすいので、主要な戦闘ですべて出し切ってしまってよいことになる。しかも、戦闘前にバフをすべてかけて万全で戦うといったことが日常的に行われる。展開的には盛り上がるし、単発なら自分もこういった展開のシナリオを組むことが多い。しかし、そもそも、こういった展開を前提としたリソース管理のシステムで無ければバランスはおかしな事になってしまう。
結局のところ日本人好みな展開になるようなシナリオを組むなら、それに合ったシステムを用意する必要があることになる。

ちなみにD&Dなどでは単発の場合、消耗品の価格を5倍にするルールがあったりするが、消耗品というリソースの乱用を防ぐのであって、自分自身のリソースは一切減っていないので能動的リソースを持つキャラクターの方がJRPG的なシナリオでは優遇されていることになる。

2017年6月1日木曜日

魔法戦士のゲームバランス

ファンタジーRPGで結構多くの人が憧れる魔法戦士、剣でも戦えて魔法も使える、かっこいいじゃないか。

でも、実際にRPGで魔法戦士を用意するとバランスが物凄く取り辛い。
例えば戦士が物理100/魔法0、魔術師が物理0/魔法100としよう。
昔のゲームだと魔法戦士は物理50/魔法50のバランスになっていたりするが、これはあからさまに両方とも役立たず。TRPGの場合、魔法戦士は物理80/魔法80位の強さは欲しい。
これがオンラインRPGになると物理95/魔法95くらいの強さはないとだめだろう。オンラインゲームの場合、どうしても単純な強さだけで比較されがちで、器用貧乏は全く評価されない。これはTRPGではしばしば存在する、物理攻撃無効・魔法無効・遠隔攻撃無効といった特定のクラスや攻撃手段では絶対に倒せないような敵を出すことが難しい(というかユーザーから多大な不満がでる)ため、どんな攻撃手段でも倒せるように設定せざるをえない。もしくは、役割分担によってどんな状況でも対処できるゲームなら、器用貧乏なメンバーを常に入れずに戦況に合った特化したメンバーだけをその時に合わせて構築した方が良いからである。TRPGの場合、そもそもクエストの中身が判らないから極端に特化するのはリスクがあるし、キャンペーンなどでもクエストごとにメンバーを途中で交換するという事が基本的にはないため柔軟に対応できるオールラウンダーにも存在意義はあるのだが、オンラインではすぐにクエスト内容は明るみに出るし、柔軟にメンバーが入れ替えられることが仇になって柔軟に対応できる中間職の存在意義がなくなってしまう。
ゲームのプレイアビリティを重視した結果、ゲームバランスが取り辛くなっている典型例といえる。