2017年9月21日木曜日

著作権は誰のためのものか その2

「恋ダンス」動画の件をみても判るように、こういった行為は消費者をがっかりさせ、一気に廃れさせる原因になります。前回書いたように、二次創作に対して著作権を行使すれば確実に消費者離れを引き起こすのです。

 どうしてもこういった二次創作に著作権を行使したいのならライセンス方式をとるのが良いのではないかと思います。例えば歌の著作権であれば、CDやDLで購入した時にライセンス登録するのです。登録した人は動画や同人活動などの二次創作を規約に反しない範囲内で自由に使用することを認めるのですのです。これならば二次創作をしたい人は皆CDを買ったりその曲をDLしてくれると思います。
 正規で入手した曲には違法コピーにはない新たな付加価値が付くわけですから、CDもより売れるようになるかもしれません。

前回も書きましたが、著作権は著作権料を払った人の権利を守るものだと考えるべきじゃないかと思うのです。
特に趣味のものは別にそれでなければならないわけでもないので、厳しく取り締まれられればその趣味を止めるだけの事です。権利者もグレーゾーンを受け入れる大らかさも必要かなと。

2017年9月16日土曜日

差別欲

遺伝子学の世界で優勢・劣勢といった表現がそれぞれ顕性・潜性といった言い方に変えるそうです。遺伝子学的な優劣とは遺伝情報の発現優先度の問題であって、優性遺伝子が劣勢遺伝子より遺伝子的に優れているわけではありません。
しかし、「優」「劣」という表現は差別的な誤解を生みかねないから変更するようです。近年は遺伝学も人間にも大きくかかわってきていますし、変な差別や誤解を生まないようにする工夫は必要だと思います。

差別は無くさなければいけないとは口では言っていても、人間はなかなか差別をなくすことができない生き物じゃないでしょうかね。差別するのは他者を見下すことで自分の存在を守ろうとする一種の本能かと思います。ですから、言葉の綾や単なる勘違いすら差別の原因になってしまうのではないかなと。
自然の動植物に差別という本能があるのかどうかわかりませんが、感情を持つ人間には(ほとんどの人が)差別欲があると思います。自分も認めたくなくてもたしかにありますし、子供たちが育ってきて、教えたわけでもないのに差別的発言をしてしまうのを見ると、自然に得るものなんだと思います。
差別をしない意識を持つには経験を積み、常に意識して自分の感情をコントロールしなければいけないのだと思います。

差別欲が本能的な欲求であるなら、性欲などと本質的に変わりません。欲求を無くせというのは簡単な事ではないですが、おおっぴろげにするのは人として恥ずかしい事と考えるべきじゃないでしょうか。

2017年9月11日月曜日

著作権は誰のためのものか

一般には著作権は作者の権利を守るものとされています。ところがいざ法律にしたがって実際に作者が権利を主張すると顧客が離れて人気の作品でも一気に廃れてしまうという現実がしばしばあります。
それはなぜでしょうか。

これは個人的な考えではありますが、著作権は「著作権料を払った人の利益を守るもの」だと思います。つまり漫画であれば漫画を買ってくれた一般消費者です。海賊版が出回れば著作権料を含む価格で買った人は損をしてしまいますから、これは権利者が訴えて海賊版を潰すべきです。
しかし、同人誌のような二次創作が販売されても、著作権料を払った消費者が損をするわけではありませんから、これに対して訴えたりすると消費者の心は離れてしまうのです。例えその内容が原作のイメージを壊してしまうような歪んだものであったとしても。

ちなみにこれは特許や種苗法などでも同じことが言えます。特に一般消費者向けの商品では権利者の利益のための主張をしている限り発展はないと思うのです。

2017年9月7日木曜日

ネット上の広告収入

個人サイトも含め、最近はネット上の広告が広告の中でも結構大きなウェイトを占めてきています。
しかし、広告収入を得ようとするあまり(特に個人サイトでは)ニセ情報や著作権法違反など犯罪に手を染めてしまったり、過激な発言をしてしてしまう事が結構あるような気がします。

摘発されたとは入れ、漫画のネタバレサイトの広告収入でかなりの利益を上げていたことはなかなか大きな問題だと思います。摘発されたサイトに広告を出している広告主の方も犯罪者の肩を担いでいる認識を持つべきじゃないでしょうか。
「広告を出している相手が何をやっているか知りませんてした」ではいけないと思います。

2017年8月30日水曜日

昔は良かった

何となくネットを覗いていたら昔(20年以上前)に遊んだゲームの話題に遭遇しました。
「昔は良かった」なんてゲームの話題ですると懐古か老害だと言われかねませんが、そう感じてしまうことはよくある事だと思います。
根本的にゲームに対する「良い」という感情はゲーム自体の出来の良さとは一致しません。
「良い」という感情は主観的で相対的なものですが、ゲーム自体の出来は客観的で絶対的なものだからです。

個人的には

ゲームの満足度 = 自分とそのゲームの相性 × それ以前のゲームからの進化割合 × ゲーム自体の出来 / その時代の技術レベル

で表せると思います。
ゲーム自体の出来が満足度に関係ないとは言いませんが、それ以外の要因が大きすぎるのです。

技術レベルは上がれば上がるほどユーザーを満足させるのは難しくなると思います。これは主観的幸福度の考えと同じです。技術レベルが上がってもそれに見合った製品だと開発コストと利益が合わなくなってユーザーの満足したものを作るのは困難になってしまいます。
新しいアイデアの商品は大手メーカーが作るのは冒険でありかなり困難な状況です。開発コストが安く、失敗して倒産しても影響の小さい中小メーカーのヒット商品の二番煎じ三番煎じを大手が追従するという形になるのも仕方がないことでしょう。

2017年8月27日日曜日

だみ声のツクツクボウシ

セミの鳴き声も個体差があっても当然なのですが、人間の耳でも明らかに他と聞き分けられる低音でだみ声のツクツクボウシの鳴き声を聴きました。
うーむ、一生懸命鳴いていますがあの声だとメスを探すの大変じゃないかな。

そういえば今年は例年より涼しかったのかヒグラシとミンミンゼミの声も。
ミンミンゼミは地元で聞くの生まれて初めてです。

2017年8月24日木曜日

AIにできないこと

AIの進歩は本当にすごいです。もはやある特定の作業に関してはAIには人間は勝てないとは思います(そのAIの作成コストを考えなければ)
しかし、人間にしかできないこともあると思います。それは

「価値のないものの価値を見出すこと」

じゃないでしょうかね。
趣味の世界なんてはっきり言ってどうでもいいものです。どうでもいいからこそから趣味になり、価値を見出して金をつぎ込むものなのです。